Satakentia es un género con una única especie de planta perteneciente a la familia de las palmeras (Arecaceae): Satakentia liukiuensis.
Es nativo de la Islas Ryukyu, un archipiélago de Japón entre la isla de Kyushu y el norte de Taiwán.
Satakentia liukiuensis fue descrita por (Hatusima) H.E.Moore y publicado en Principes 13: 5. 1969.[1]
Satakentia: nombre genérico que fue nombrado en honor de Toshihiko Satake (1910-1998), industrial japonés, mediante la combinación de su nombre con el nombre genérico de Kentia, nombrado por William Kent (1779 -1827), curador en el Jardín Botánico de Buitenzorg, Java (ahora Kebun Raya Bogor).[2]
liukiuensis: epíteto
Satakentia es un género con una única especie de planta perteneciente a la familia de las palmeras (Arecaceae): Satakentia liukiuensis.
Es nativo de la Islas Ryukyu, un archipiélago de Japón entre la isla de Kyushu y el norte de Taiwán.
Satakentia est un genre de la famille des Arecaceae (Palmiers) comprenant une seule espèce Satakentia liukiuensis originaire des îles Ryūkyū, un archipel japonais entre les îles de Kyūshū au nord et Taïwan au sud.
Satakentia est un genre de la famille des Arecaceae (Palmiers) comprenant une seule espèce Satakentia liukiuensis originaire des îles Ryūkyū, un archipel japonais entre les îles de Kyūshū au nord et Taïwan au sud.
Satakentia liukiuensis là loài thực vật có hoa thuộc họ Arecaceae. Loài này được (Hatus.) H.E.Moore miêu tả khoa học đầu tiên năm 1969.[2]
Satakentia liukiuensis là loài thực vật có hoa thuộc họ Arecaceae. Loài này được (Hatus.) H.E.Moore miêu tả khoa học đầu tiên năm 1969.
Gulubia liukiuensis Hatus.
和名 ヤエヤマヤシヤエヤマヤシ(八重山椰子、Satakentia liukiuensis)は、背が高くなるヤシの一種。八重山諸島の固有種である。
大型のヤシであり、日本の八重山諸島の固有種であり、この1種のみでヤエヤマヤシ属を立てる。大きな羽状複葉の葉をつけ、樹高は25mにも達する。鑑賞価値が高く、自生地である石垣島の「米原のヤエヤマヤシ群落」と西表島の「ウブンドルのヤエヤマヤシ群落」は国の天然記念物に指定されている。小笠原諸島のノヤシに似ているうえ、当初は混同されていたこともあり、現在も分類上で近縁とされる。
大型の常緑性の高木[2]。茎は直立し、高さ15-20m、径20-30cmに達し、基部はさらに肥大する。なお、最高樹高は25mに達する[3]。茎は分枝せず、その表面には葉の落ちた跡が環状斑として残る。葉は大きな単羽状複葉で、長さ4-5mに達する。葉柄は短く、葉身は革質で光沢があり、小葉は多いものでは90対を越える。小葉は線状剣形、長さ30-70cm、幅3-4cmで、先端は浅く2つに裂ける。裏面は緑色で中肋に沿って褐色の鱗片が付く。葉鞘は筒状になり、茎先端部を取り巻く筒を形成する。
花序は、茎先端に集まる葉の群より下から出て紡錘形の苞に包まれ、円錐状に2回分枝し、短い星状毛を密生している。花序は長さ1mになり、その柄の基部は幅広くなって茎を抱く。雌雄同株で、花は単性で黄色く、花序の軸に対して十字対生をなして穂状に多数つく。花序の中央以下の部分では花は2個ずつまとまって付き、そのうち下側が雌花で上側が雄花、花序中央より先では雄花だけが2個ずつ着く[4]。
雄花の萼片は3、互いに離れ、広卵形で先端が丸く、やや肉厚で長さ2mm、幅2.5mm。花弁も3、楕円形で先端は三角になっているが尖らず、長さ3.5mm、幅2mm。雄蕊は6、花弁より長く突き出す。花糸は4mmで扁平、葯はTの字に付き、長さ2-2.5mm。退化した子房があって長さmm、披針状楕円形。雌花も萼や花弁は雄花とほぼ同じで、多少大きめ。退化雄蕊が3、扁平な三角形で長さ1mm。雌蕊は歪んだ卵形で長さ2mm、花柱は3個。果実は卵状楕円形で長さ1.3cm、幅7mm、熟して赤くなる。先端の中央からずれた位置に花柱が残る。種子は長楕円形で長さ1cm、多少曲がっており、側面に全長に及ぶ臍がある。
八重山諸島の石垣島と西表島の固有種である。その中でも生育地は限られており、石垣島の米原、西表島の御座岳南斜面、仲間川中流部のウブンドル、星立天然保護区域内の干立御嶽周辺に群落がある[5]。それ以外の地域にも生育していたともいい、若芽が食用になり、茎が材として利用されて他の生育地が消滅した結果であるという[6]。
低地から山地の自然林に生える。石垣島の米原ではほぼ純林をなし、外観としてもヤシ型森林として判然と区別できる。林下の植物相は低地の常緑広葉樹林の要素が多い[7]。西表ではその生育地が急斜面や氾濫原で、立地が不安定な、常緑樹林が成立しにくいところであり、そのような場でこの種が生き延びたのだろうとしている[8]。
発見は1969年と比較的新しく、ドランスフィールドはこのような大型種がそれまで見逃されていたのは「実に不思議」だと記している[9]。これは、それまでは後述のノヤシと混同されていたものである。これを初島住彦が1963年に新種として記載し、この時は学名を Glubia liukiuensis とした。その後にハロルド・エメリー・ムーア が1969年に新属ヤエヤマヤシ属を立て、本種をそこへ移した[10]。
属名は、ヤシのファンにして研究の後援者であった佐竹利彦に献名されたものである[11]。ただし、佐竹氏を記念した Kentia という意味であれば、Satakekentia であるべきで、訂正が必要だと初島は言っている[12]。
円柱形の茎と、葉の基部が緑色の葉鞘筒となって茎の先端を包むこと、葉は大きく広がるが数が少ないことなどはビンロウ亜科の典型的な特徴である。発見当初はグルビア属 Gulubia とされ、後に本種のみでこの属を立てられた。小笠原には本種に似たもので、固有種のノヤシ Clinostigma savoryanum がある。他に本種に近縁なものは太平洋西部の島嶼に見られる[13]。これらはまとまりのある1群で、7属が含まれる[14]。
鑑賞価値は高く、「もっとも美しいヤシ」とされているとも[15]。那覇市内でも植栽されたものが成木になっており、その程度の耐寒性はあると見られる[16]。古来より首里城周辺に植栽されたとも言われる[17]。
材はビロウと同様に加工でき、器具材などにも使えた。1本から長さ10m、径30cmの材がとれる。また、新芽や若葉を山菜として用いた[18]。ただし、新芽を採られると枯れてしまう[19]。
石垣島の「米原のヤエヤマヤシ群落」と西表島の「ウブンドルのヤエヤマヤシ群落」は琉球政府の時代に天然記念物に指定され、沖縄の本土復帰に伴って昭和47年5月15日に国の天然記念物に指定された[20]。
また、環境省のレッドデータ、および沖縄県では準絶滅危惧に指定されている。