ヌメリイグチ(滑り猪口、Suillus luteus (L.:Fr.) S.F.Gray)は、イグチ目に属し、ヌメリイグチ科ヌメリイグチ属に分類されるキノコの一種である。
かさは幼時は半球形、後にまんじゅう形から開いて平らになり、帯紫灰褐色ないし灰黄褐色で強い粘性を示し、表皮は比較的剥がれやすい。かさの肉は厚くて柔らかく、汚白色あるいは淡いクリーム色を呈し、傷つけても変色せず、味もにおいも温和で特徴的なものはない。かさの裏面の子実層托(胞子を形成する部分)は管孔状をなし、ごく若いものでは汚白色ないし灰白色であるが次第に黄色みを増し、成熟すれば暗黄色あるいは暗灰褐色となり、かさの肉から分離しやすい。柄はほぼ上下同大あるいは基部に向かってやや太まり、なかほどに灰紫褐色でややゼラチン質のつばを備え、つばより上はほぼ白色で平滑、下部は汚灰色ないし灰黄色の地に紫褐色の微細な粒点をこうむり、内部は堅く充実する。
胞子紋 は暗褐色を呈し、胞子は狭楕円形ないし円筒状楕円形で薄壁・平滑、しばしば1-2個の油滴を含む。側シスチジアは比較的まれで、上部がやや太い円筒形をなし、無色ないし淡褐色、薄壁である。縁シスチジアは狭紡錘状あるいは紡錘状こん棒形をなし、豊富に見出される。柄の下部に生じる粒点は柄シスチジア(形態は、管孔の縁シスチジアとほぼ同様)の集合体である。かさの表皮はゆるく絡み合った細い菌糸からなり、その菌糸末端は厚いゼラチン層に埋もれつつ、いくぶん立ち上がる。菌糸はすべてかすがい連結を欠いている。
初夏から晩秋にかけてマツ属の樹下に群生し、外生菌根を形成する。日本では、アカマツ・クロマツなどの二針葉マツの林内でごく普通に見出される[1][2]。沖縄においては、同じく二針葉マツ類の一種であるリュウキュウマツの樹下に生える[3]。北海道では、アカマツの植栽林はもちろん、ハイマツ、あるいは北アメリカやカナダから移入されたストローブマツPinus strobusなどの五針葉マツ類の樹下にも発生し[4][5]、さらに、まれにはトウヒ属(たとえばアカエゾマツ)やモミ属のトドマツの樹下にも生えるとされている[4][5][6][7]。
人工培地上での胞子の発芽率はごく低く(0-0.01%程度)、発芽したとしても培地上に胞子を置床してから一カ月程度を有するという[8]。無菌的に育てたマツの苗とともに、培地上で二員培養すると、その発芽率は 0.01-1%程度に向上するが、発芽が認められるまでの所要日数はあまり変わらない[8]。酵母の一種(Rhodotorula glutinis)や、組織培養によって得たヌメリイグチの純粋培養株とともに二員培養すると、発芽率が 1%程度に向上し、特にR. glutinisと同一容器内で培養すれば、胞子を培地上に置床してから発芽するまでの日数も一週間程度に短縮されるとの実験結果が報告されている[8]。
北半球の温帯以北(二針葉マツ類が分布する地域)に広く産する。南半球では、二針葉マツの植栽に伴って帰化している[9]。
ハナイグチは全体に色が明るく、柄の下部に微粒点を欠き、カラマツ属の樹下に限って見出される。ヌメリイグチ同様に、二針葉マツ類の林内で採集されるアミタケは柄に粒点がなく、つばを欠くことに加え、かさの裏面の管孔が放射状に細長いことで異なり、チチアワタケは、かさや管孔の色調においてはヌメリイグチにかなり似ているが、柄がほぼ白色を呈し、粒点やつばを持たないこと・若い子実体では、管孔面からしばしば淡黄白色の乳液が滲み出ることなどで区別される。
ヌメリイグチ属を含むイグチ目 Boletalesの分類には、形態的・生態的特長と併せ、子実体や菌糸体に含まれる化学成分の違いも重視されている[10]。
ヌメリイグチ属の属内においても、含有される指標成分の組成は種ごとに異なっている。ヌメリイグチの子実体からはバリエガト酸(Variegatic acid:α-[4-(3,4-ジヒドロキシフェニル)-3-ヒドロキシ-5-オキソフラン-2(5H)-イリデン]-3,4-ジヒドロキシベンゼン酢酸)やその異性体であるゼロコミン酸(Xerocomic acid:α-[(2E)-4-(3,4-ジヒドロキシフェニル)-3-ヒドロキシ-5-オキソフラン-2(5H)-イリデン]-4-ヒドロキシベンゼン酢酸)、あるいはアトロメンチン酸(4-ヒドロキシ-α-[3-ヒドロキシ-4-(4-ヒドロキシフェニル)-5-オキソフラン-2(5H)-イリデン]ベンゼン酢酸)などが見出されているが、これらはいずれもプルビン酸の誘導体であり、イグチ目に属する多くのキノコ類に広く含まれている。たとえば、バリエガト酸やグレビリン類は、最初はハナイグチから単離されたものであり、アロトメンチン酸はニワタケと共通する成分である。ハナイグチにも含有されているフェノール骨格を持った橙色色素であるグレビリンA、B、C、Dおよび E(Grevilline)もまた、ヌメリイグチから検出されている。
一方で、アミタケに含まれるボビノン(bovinone:別名ボビキノン4=2,5-ジヒロドキシ-3-[(2E, 6E, 10E)-3,7,11,15-テトラメチル-2,6,10,14-ヘキサデカテトラエニル]-1,4-ベンゾキノン)や、その誘導体で、クギタケ属の一種Chroogomphus helveticus (Sing.) Moserに多量に含まれているヘルベティコン(Helveticone:別名ボビキノン3=2,5-ジヒドロキシ-3-(3,7,11-トリメチル-2,6,10-ドデカトリエニル)-2, 5-シクロヘキサジエン-1,4-ジオン)などは、ヌメリイグチからは見出されていない[11]。
ヌメリイグチ属のタイプ種である。従来はハラタケ目イグチ科に置かれていたが、現在ではイグチ目[12]に移され、その中でもショウロ科やオウギタケ科などとともに独立したヌメリイグチ亜科に所属し、ヌメリイグチ科が設けられている[11]。
ヌメリイグチ亜科のなかでも、マツ属の樹木に限って外生菌根を形成する性質や、胞子およびシスチジアの形態が類似すること、あるいは子実体や菌糸に含まれる化学成分の類似性などから、特にオウギタケ科のクギタケ属との類縁関係が深いとされている[13]。
和名は、江戸時代(寛政11年:1799年)に成立した菌類図譜「信陽菌譜」(著者は市岡知寛)から採用されたものであるという[14]。
属名のSuillus はラテン語で「ブタ」を意味する。じゅうぶんに成熟して平らに開いたヌメリイグチのかさが、先端が平たいブタの鼻を連想させたものではないかと推定されている[15]。種小名のluteus もラテン語で「黄色の」を意味し、管孔の色調に由来する[16]。
北海道では「ラクヨウ」[17]、長野県・山梨県では「ジコボウ」または「リコボウ」[18]と呼ぶ。古くは、青森や茨城で「アワタケ」、長野県下で「ジコウボウ」、岡山で「ボタイグチ」の呼称で呼ばれたという[14]。 新潟県の一部で用いられる「ムキタケ」の方言名[19]は、食用に供するにあたって、かさの表皮を除くことが習慣化されていたのを反映している可能性がある。これらの方言名はハナイグチやアミタケ・チチアワタケなどをも混用していることが多い。
かさに強い粘性があることにちなみ、英語圏では「Slippery Jack」の呼称があるが、これもまた、ハナイグチそのほか同属の類似種を総称する呼び名である[9]。
広く食用とされているが、消化がよいとはいえない。また、本種に限ったことではないが、ヌメリイグチ属のきのこに対して、アレルギー症状を起こす人がまれにある[20]。特にかさの表皮と管孔層とは消化されにくく、かさが開いていない未熟なものは別として、成熟したものでは面倒でもとり除いてから食べるほうがよい[21][22]。生のままで汁物・鍋物・和え物などにしたり、いったん乾燥させてから煮つけなどにして食べるのが一般的である[21]。ただし、このキノコ独特の風味や香りは乏しい。欧米では強い粘性を持ったキノコがあまり喜ばれないこともあり、食用菌としての評価はあまり高くはない[23]。