イノシシ(猪・豬、英名: boar 学名:Sus scrofa)は、鯨偶蹄目イノシシ科の1種。十二支の12番目「亥」であり、犬と同じくらい鼻が非常に敏感だが、神経質な動物でもある。本種の家畜化がブタである。
学名は「Sus scrofa」であり、リンネによる命名である。ウシやウマなど他の家畜の学名では野生種より前に家畜種に命名されている例が多々あり、先取権の点から問題となった(審議会の強権により解決された)が、イノシシとブタの間ではそのような問題は起きなかった。古い大和言葉では「ヰ(ウィ)」と呼んだ。イノシシは「ヰ(猪)のシシ(肉)」が語源であり、シシは大和言葉で「肉」を意味する(「ニク」は音読みの呉音)。現代中国語では、「猪(豬)」の漢字は主にブタの意味で用いられており、イノシシは「野猪(豬)」と呼んで区別する。
もともとはアジアやヨーロッパなどを中心に生息していたが、人間によってイノシシまたはその家畜化されたブタが再野生化したものがアメリカ大陸やオーストラリアなどにも放され、爆発的に生息域を広げることになった。分布地域によって個体に大きな差がかなりあり、米国アラバマ州では体長約2.8m、体重約470kgもある巨大なイノシシが過去には仕留められている。中国東北部のイノシシも体重300kg以上に達するものがある。日本には北海道を除いてニホンイノシシとリュウキュウイノシシの2亜種ないし八重山諸島のグループをさらに分けた3亜種が分布するが、いずれもイノシシの亜種ではなく、別種として分類すべきとの議論もなされている。
古くから狩猟の対象とされてきた動物の一つであるが、非常に神経質で警戒心の強い動物である。普段より見慣れないものなどを見かけると、それをできるだけ避けようとする習性がある。
非常に突進力が強く、ねぐらなどに不用意に接近した人間を襲うケースも多い。イノシシの成獣は70kgかそれ以上の体重がある上、時速45kmで走る事も可能であり、イノシシの全力の突撃を受けると、大人でも跳ね飛ばされて大けがを負う危険がある。オスの場合には牙も生えているため、たとえ立ち止まっている場合でもオスの場合は鼻先をしゃくり上げるようにして牙を用いた攻撃を行う。オスの牙は非常に鋭く、訓練された猟犬であっても縫合が必要な大きな裂傷や深い刺傷を負う場合があり、作業服程度の厚さの布も容易に切り裂いてしまうという[1]。この牙による攻撃はちょうど成人の太ももの高さに当たるため、人間が攻撃された場合、大腿動脈を破られて失血死するケースが多く、非常に危険である[1]。メスは牙が短い為、牙を直接用いた攻撃をする事は少ないが、代わりに大きな顎で噛み付く場合がある。メスであっても小動物の四肢の骨程度であれば噛み砕く程の力がある。
多くの匂いに誘引性を示し、ダニ等の外部寄生虫を落としたり体温調節をするために、よく泥浴(英語版)・水浴を行う。泥浴・水浴後には体を木に擦りつける行動もたびたび観察される。
特にイノシシが泥浴を行う場所は「沼田場(ヌタバ)」と呼ばれ、イノシシが横になり転がりながら全身に泥を塗る様子から、苦しみあがくという意味のぬたうちまわる(のたうちまわる)という言葉が生まれた。
生息域は低山帯から平地にかけての雑草が繁茂する森林から草原であり、水場が近い場所を好む。食性は基本的に山林に生えている植物の根や地下茎(芋など。冬場は葛根も食べる)・果実(ドングリなど)・タケノコ・キノコなどを食べる、草食に非常に偏った雑食性(植物質:動物質≒9:1)である。芋類は嗅覚で嗅ぎ付け、吻と牙で掘り起こして食べる。動物質は季節の変化に応じて昆虫類・ミミズ・サワガニ、ヘビなどを食べる。食味が良く簡単に手に入れられる農作物を求めて人家近辺にも出没することがある。穀物も採餌対象であり、田畑で実った稲[2]やトウモロコシも食害にあう。鳥類・アカシカ・小型哺乳類なども採餌するが、死骸が落ちていた時に食餌する。基本的には昼行性で日中に採餌のため徘徊するが、人間活動による二次的な習性で夜行性も示す。
野生下での寿命は長くて10年であり、一年半で性成熟に達する。幼少期にはシマウリ(縞瓜)に似た縞模様の体毛が体に沿って縦に生えており、成体よりも薄く黄褐色をしている。イノシシの幼少期は天敵が多く、この縞模様は春の木漏れ日の下では保護色を成す。その姿かたちからウリ坊(ウリン坊とも言う)・うりんこ・うりっことも呼ばれ、この縞模様は授乳期を過ぎた生後約4か月程度で消える。
繁殖期は12月頃から約2か月間続く。繁殖期の雄は食欲を減退させ、発情した雌を捜して活発に徘徊する。発情雌に出会うと、その雌に寄り添って他の雄を近づけまいとし、最終的にはより体の大きな強い雄が雌を獲得する。雌の発情は約3日で終わり、交尾を終えた雄は次の発情雌を捜して再び移動していく。強い雄は複数の雌を獲得できるため、イノシシの婚姻システムは一種の一夫多妻であるとも言える。雄は長い繁殖期間中ほとんど餌を摂らずに奔走するため、春が来る頃にはかなりやせ細る。
巣は窪地に落ち葉などを敷いて作り、出産前や冬期には枯枝などで屋根のある巣を作る。通常4月から5月頃に年1回、平均4.5頭ほどの子を出産する。秋にも出産することがあるが、春の繁殖に失敗した個体によるものが多い。妊娠期間は約4か月。雄は単独で行動するが雌はひと腹の子と共に暮らし、定住性が高い。子を持たない数頭の雌がグループを形成することもある。
短い足とずん胴な体に見合わない優れた運動能力を持ち、最高では人間の短距離走世界記録保持者(100mを約9秒台後半〜10秒、時速36km強)をも凌ぐ約45km/hの速さで走ることが可能である。近畿中国四国農業研究センターの実験によると、70kgの成獣が121cmの高さのバーを助走もなしに跳び越えることができた。立体感のあるものは苦手で、斜めに立てられた柵は越えることができない[3]。扁平になった鼻の力(実際には首~上肢の力)はかなり強く、雄で70kg以上、雌でも50-60kgもある石を動かすことができる。
基本的には水を嫌い泳ぐことはないが、追い立てられたりして止むを得ず泳ぐこともある。犬かきで時速4km程度を出せ、30kmを泳ぐことも不可能ではないという[4]。瀬戸内海では島の間を渡る猪がたびたび目撃されている[5]。
積極的に前進することや向こう見ずに進むことを「猪突猛進」といい、これはイノシシが真っすぐにしか進めないところからきていると言われているが、イノシシは他の動物と同様前進している際、目の前に危険が迫った時や危険物を発見した時は急停止するなどして方向転換することができ、真っすぐにしか進めないという認識は誤りである。
トラ・ライオン・ヒョウ・オオカミ・クマ・ワニ・大蛇などの大型肉食動物と本種の生息地が被る際には、主に幼獣を含む中小の個体が他の有蹄類と同様に捕食対象となるが、逆に大型の個体では撃退はおろか返り討ちにするケースも見られる。なお、それらが生息していない地域や、過去には生息していたが現在では絶滅している地域では成獣への捕食者は人間以外にはほぼ存在しない。それらの地域では野犬やカラス、キツネや大型の猛禽類等が幼獣を捕食する程度である。
Mammal Species of the World, 3rd edition によれば、イノシシには16の亜種が確認されている[6]。ただしこの資料はブタを扱っていない。
日本列島には、イノシシの亜種であるニホンイノシシとリュウキュウイノシシの2亜種が分布している。ニホンイノシシは本州・四国・淡路島・九州に生息し、リュウキュウイノシシは南西諸島の奄美大島、沖縄島、石垣島、西表島等に分布している[7]。北海道は現代のイノブタを除き野生のイノシシが自然分布していない[8]。
ニホンイノシシ(日本猪、S. scrofa leucomystax /英語: Japanese wild boar)は、本州・四国・九州・淡路島・小豆島に分布する。足が短く雪が苦手なため、豪雪地帯には分布しないとされてきたが、日本海側では平年値の積雪が2mを超える福井県の山間部にも出没するようになった。長野市、須坂市など長野県北部の市街地でも目撃され、人的な被害も報告されている。また、太平洋側では宮城県南部が分布域の北限とされていたが、近年は北上傾向にあり、仙台市の西部にある奥羽山系・泉ヶ岳の裾野での生息や仙台七夕用の竹の被害などが報告されている[9]。九州の離島では本土や他の島から泳いで渡ったとみられるイノシシによる農作物への被害が相次いでいる[10]。
本亜種は狩猟対象獣であり、その商品価値は食肉用として高く、他の対象鳥獣と比較しても人気がある。その結果高い狩猟圧がかかるようになり、局所的な個体群の衰退も見受けられるが、逆に分布を拡大させている地域も多い。
体長は雄110–170cm、雌100–150cm、肩高60–90cm、尾長30–40cm、体重80–190kg(岐阜市で約220kgもの雄個体が捕獲されたこともある)で、雌は雄よりも小さく性的二型が見られる。全身茶褐色から黒褐色の剛毛で覆われる。指の数は前後ともに4本で、2個の蹄を持つ。雌雄共に下顎の犬歯が発達して牙状になっており、雄は特に長い。雄の牙は生後1年半ほどで確認できるようになり、半月型に曲がった形で終生成長を続け、最大で15cmほどまでになる。上顎の犬歯も大きく、それが擦り合わさるよう下顎の犬歯が生えているため、常に研磨された状態の牙は非常に鋭い。ただ、この牙は後方に湾曲しているため、攻撃用というよりもむしろ護身用である。湾曲の度合いもブタと比べると緩い。
雑食性でクズやヤマノイモなどの根やシイ類の堅果(ドングリ)、小動物(昆虫類やミミズ等)を捕食する。繁殖期は年1回(春頃)であるが、年2回出産することもある。
リュウキュウイノシシ(琉球猪、S. scrofa riukiuanus / 英語: Ryukyu wild boar)は、南西諸島の奄美大島・加計呂麻島・請島・与路島・徳之島・沖縄本島・石垣島・西表島に分布する固有亜種である。
沖縄方言ではヤマシシ[11]、ヤマンシー[12]と呼ばれる。奄美方言ではシシと呼ばれる[13]。西表島ではカマイと呼ばれる。
生態的な特徴はニホンイノシシと同様であるが、生息域が亜熱帯のためか、春と秋、双方に繁殖期がある。各島でその体長・体重には差異があるが、いずれもニホンイノシシと比較するとかなり小さく、体長は90–110cm、体重20–70kg程度である。ニホンイノシシが島嶼化(とうしょか)現象で小型化したとも考えられるが、頭骨の形状の違いなどから別種の原始的なイノシシとする見解もある。西表島及び石垣島の個体群はさらに小型で50kg程度にしかならず、また、沖縄本島及び奄美群島の個体群と遺伝的に異なっている上に頭骨の内、上顎骨にある涙骨と口蓋裂の形状、乳頭の数や位置に相違点があるとの報告があり、今後検討を経て別亜種とされる可能性が高い[14]。
食性は雑食で、スダジイ等の木の実や小動物(昆虫類やミミズ等)を捕食し、夜間に農耕地に出没し、農作物を食害することもある。繁殖期は年に2回(10–12月、4–5月)で、年に1〜2回出産すると考えられている。 奄美群島のリュウキュウイノシシは頻繁にウミガメの卵を食べるようになったことが知られている[15][16]。
徳之島の個体群は、環境省レッドリストで地域個体群に、鹿児島県版レッドデータブックでも絶滅危惧I類で掲載されており、保護の重要性は高い。西表島には比較的多くの個体が生息するが、森林開発や狩猟により全体的な個体数は減少傾向にある。
もともとブタは、イノシシが家畜化されるうちに品種化していった動物であり、現代中国語で「猪」という単語/文字は一般的にブタを意味する。イノシシを表記したい場合、「野猪」と表記する(ブタを特に区別する場合は「家猪」と表記する)。日本列島では縄文時代にイノシシの飼養が行われていたが、ブタは弥生時代に大陸からすでに家畜化されたブタ(弥生ブタ)が持ち込まれたと考えられている。
縄文時代にはシカとともに主要な狩猟対象獣であった。北海道や離島からも骨が出土しこれらの島には人為的に持ち込まれたと考えられている。
山梨県北杜市大泉町の金生遺跡は八ヶ岳南麓に立地する縄文時代後期の遺跡で、配石遺構が出土したことが知られる。金生遺跡からは焼けたイノシシ幼獣の下顎骨がまとまって出土しており、馴化して飼養状態において、食用に間引いていたとも考えられている。
イノシシは多産であることから、縄文時代には豊穣の象徴として、縄文時代の精神世界においても重視されていたとされ、土器文様としてイノシシ装飾が見られる。金生遺跡の焼骨も何らかの祭祀に関わる遺物であると考えられている[17]。
日本で獣肉食が表向き禁忌とされた時代も、山間部などでは「山鯨(やまくじら)」(肉の食感が鯨肉に似ているため)と称して食されていた。「薬喰い」の別名からもわかるように、滋養強壮の食材とされていた。「獅子に牡丹」という成句から、獅子を猪に置き換えて牡丹肉(ぼたんにく)とも呼ばれる[19]。文芸では上方落語「池田の猪買い」などに登場する。
南西諸島の奄美大島、沖縄本島、西表島などにおいては、歴史的にも肉食のタブーの影響がないまま、リュウキュウイノシシが貴重なタンパク源としてよく食べられている。西郷隆盛も奄美大島で好んで食べたとされる。
日本においては、多くがシシ汁、シシ鍋として食べられてきた。近年は焼き肉、バーベキュー、炒め物にすることも増えている。奄美大島では保存性を目的にリュウキュウイノシシ肉の塩漬けも作られ、「ましゅちけぃしし」と呼ばれた。また、味噌漬けにする例もある。
イスラームやユダヤ教などでは、豚肉と同様にイノシシの肉も忌避される。
近年、人里に出没するニホンイノシシの数は増加傾向にあり、特に過疎地や高齢者集落において、農林業被害(食害、踏みつけ、掘り起こし)を及ぼすことが問題となっている。とくに山林でドングリの少なくなる8月には水田が格好の採餌対象となる[2]。広島県や兵庫県などを始め本州の各地で住宅地付近にまで出没し、民家の庭や路上のゴミを荒らす生活環境被害や、噛み付きなどの人的被害も頻出。イノシシに襲われた結果死亡事故に繋がる場合[1]もあり、行政も対策に頭を悩ませている。近年では線路に進入して列車との衝突事故を起こしダイヤを乱した事例[22][23]もみられる。被害対策としては爆竹音を鳴らしたり、石油臭を利用するなどの方法があるものの、イノシシは高度な学習能力を持つためいずれも継続的な効果は期待できない。完全に防ぐには電気柵や強固な鉄柵を張るしかないが、経費の問題もありあまり現実的ではない。広島県の呉市や竹原市などは防護柵の設置に補助金を支給している。
かつては農林水産省の補助事業も行われたが、2009年の事業仕分け (行政刷新会議)(WG3)に諮られた際に、「重要な課題であるということは認識しつつも、国(が実施すべき事業)ではない。」[24]との意見が示され、2010年度からは都道府県に対する交付金となった。
兵庫県の六甲山では野生のイノシシとの接触機会が多く、1960年代より登山者によって餌付けが行われるようになり、大規模な餌付け場として「芦屋イノシシ村」が作られるなど、六甲山系全体でイノシシに対して餌付けが行われたが、人馴れしたイノシシによるトラブルが増加し、2002年に神戸市は全国で初めてイノシシへの給餌などを禁止したイノシシ条例を制定した[25]。
ニホンイノシシの個体数の増加傾向の原因として、畜産用に飼われていたイノシシとブタとの間の一代雑種であるイノブタが飼育中に逃亡し、野生のイノシシと交配し、ブタの多産性質を広めているという説がある。過去にイノシシが絶滅した千葉県では狩猟目的でイノブタ及びイノシシを放した証言があり、近年出没する個体はその子孫ではないかとする見解もある(千葉県イノシシ・キョン管理対策基本方針)。タケノコの季節には胃内容物の大半がタケノコであり、放置竹林が問題であるとする説もある[2]。中山間地の過疎化による休耕地や耕作放棄地の広がりがイノシシに格好の餌場や住処を提供し、そのために人里近くまでイノシシが出没するようになったことが原因であり、イノシシの個体数そのものは、従前とあまり変わらないのではないかとの考えもある。耕作放棄地を整備したり再び畑として利用する事で、イノシシが近寄りにくい環境にする取り組みも行われている。
ヨーロッパでは1980年代よりイノシシによる農業被害の対策として、耕作地にイノシシを接近させないために森林内での給餌が行われている。しかし、給餌の恒常化は人の餌に慣れることによって森林の食物資源としての価値を下げてしまうことや、イノシシの個体数の管理リスクが生じるなど問題点も指摘されている[25]。
ライフルや散弾銃などを利用した銃猟捕獲は人家近くでの発砲は原則として出来ないため、捕獲範囲が限定されており、猟友会に所属するハンターの高齢化による作業人員の減少により、必ずしも本格的な駆除には至っていない。一般市民がわなを用いて捕獲する場合は狩猟免許の取得や自治体への届出が必要であり、実際の駆除開始まで時間や手間がかかることも多い。イノシシのわな猟では主に箱罠やくくり罠が用いられるが、いずれの猟具を用いた場合でも罠に掛かったイノシシの「止め刺し」は、銃器を用いない場合には非常に大きな危険が伴う。例年わなに掛かったイノシシの止め刺しに際しては事故が多発[26]しており、特にくくり罠の場合には抵抗するイノシシによってワイヤーが断裂したり[27]、止め刺しに入った際に反撃を受けたり[28]、狩猟者自身がワイヤーに巻き込まれるなどによって死亡事故[29]に繋がるケースもあり、環境省や地方自治体は止めさしの技術向上や銃器による止めさしの要件緩和などが事故防止の喫緊の課題であるとしている[30]。
ドイツではイノシシとの接触によるレプトスピラ症の感染例が報告されている[25]。また、日本のイノシシは高い確率で日本脳炎ウイルスに感染しているという報告があり、イノシシと人間の接触機会が増えると感染症伝搬の危険性も増加すると考えられる[25]。
三重県伊勢市の伊我理神社の祭神「伊我利比女命」(いがりひめのみこと)は、その名の由来が「猪狩」であり、五穀を食い荒らすイノシシを狩る女神だとされている[31]。
静岡県伊豆市には、国内唯一のイノシシのテーマパーク「天城いのしし村」があったが、観光客減少のため、2008年(平成20年)11月30日に閉鎖された。
禁を犯して一時的にいい思いをしても、後で必ずそれ相応の悪い報いを受けるという意味。
いのしし肉をよく食べる兵庫県篠山市では、本当は「しし食うて温(ぬく)い」で、いのししを食べると精力がつき、体が温まるという意味だが、他人様には食べさせたくないので、「しし食った報い」と言うという説があることを紹介している[32]。 鹿肉も「しし」と言うことがあり、いのししにかぎらず、獣肉を食べるとさわりがあるという意味だとも言われている。
(読み:ちょとつもうしん)
ひとつの物事に対して、夢中で、かつ猛烈な勢いで、突き進むこと。
(読み:いのししむしゃ)
進むことだけを考え、退くことを知らない武士(ひいては人物全般)を指す。浅慮ぶりが含意される表現なので、あまり良い意味では用いられない。